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2012年03月10日

3月11日、あれから一年

あれから一年がたとうとしています。

ありんこ支援隊も、この一年の区切りに
一旦けじめをつける方がいいのだろうかと
毎月支援金をお送りいただきながら、動けずにいることに悩んでいました。

でも「区切り」って何の区切り?
「けじめ」って誰のために?
被災地の生活は、一年たったから、
はい、ここで一旦けじめをつけます、ではないはずなのに。
そんな思いもありました。

そうした中、ありんこの言いだしっぺである@BOSSから
CCメールをもらいました。

私の悩みを感じとってくださった方から
「もし支援金が重荷になるようなら、支援金の受付はいったん止めても、
ありんこの解散宣言は不要なのではないか」というメールを頂いたことに対して
@BOSSが書いた、長い長い返信のメールです。

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(ありんことしてのレスポンスがなかなかできないのは)
かまたの重荷という事ではありませんので、ご心配なく。


震災時は、活発に活動できましたが、
幸いにしてと言いますか、被災エリアでもなく、
会社として、通常通りの業務の委託を受けている手前、
冬場のスキーシーズンは100日間会社に缶詰状態で
予約システム、コールセンター業務の責任を負っているというのが、
返信レスポンスの遅延の理由ですのでご容赦ください。


被災者が家や家族や大切な人を失い、仕事や故郷まで失っている現状で、
仕事がこれまでどおり行われ、それに追われていると言うのは、
おこがましいことではありますが、それで地に脚をつけて
その立場だからこそ、できる支援をするということ。


震災から一年の3月11日に向けて、
あれこれと世の中的に動きがある中で、
私達ありんこ支援隊も、これまでの支援者の方々に
何らかの発信の必要をと思い、心に多くの文言を留めておりますが
先ずは、発足者として、発足の経緯と理由を再度表記しますと
あの、想像を絶する被災地の現状を目にして
「どうする事も出来ない、いたたまれない気持ち」の行き所を求めた結果です。


亘理町から仙台に至る高速道路を緊急車両認識票のお陰で走行した時、
そこから広がる全ての景色が、津波に浚われた後の廃墟の様相を呈し、
幹線道路のあちこちには遺体安置所。
食うや食わずで身を寄せ合って避難している被災者の方々。


差し伸べる自分の手のあまりもの小ささに
「俺一人が何かをしたところで、このすさまじい現状がどうなることで無い・・・」と
絶望したのがキッカケでした。


それでは何もしないでいいのか・・・?



「私は気持ちが暗くなるから、そういうテレビは消して、考えないようにしています」
そういう言葉を言った年功者がいました。


この方を「人でなし!」と、一概に蔑むことが出来ないのは、
この人自身が「いたたまれない気持ち」で、自分が気鬱になる事を避けたいと言う
自己防衛で言っているからで、私も皆に「気鬱になって、暗くなりましょう」と
声がけをしたい人間ではないので、その気持ちが判らないではありません。


ただ、その「いたたまれなさ」の元となる震災という事実を無くすことは不可能ですし、
どんなに足掻いても亡くなった方が帰ってくる事も無く、悲しみは癒えませんが、
でも、だからと言って、その事実を、被災者で無い自分達が「無かった事にしよう」と、
目や、心の中から排除することだけは、人としてやってはいけないと思いました。


だから、どんなに小さな事であっても、悲しみが癒えなかったとしても、
その方々の傍らで、「自分に出来ることを、できる範囲で、できる限り」やろうと決めました。


それが発足のキッカケで、その意思に共感して、賛同してくださる方々がいらっしゃったら
その活動の主旨に乗じて、ご協力してくださることには感謝をして、拒みません。
しかし、逆に
「何かできることがあったら言って」「協力するから、声を掛けて」と言う申し入れ、
つまり「私達が直接お願いしたら、応えますよ」という申し入れには、お断りしていました。


あくまでも、ありんこは
「その人の心の、自発的な行為で」というスタイルでした。


言い方を変えますと、
「来るものは拒まず、去るものは追わず」で、
この「未曾有」という言葉しか当てはまらない非常時の
「とんでもない、『何事』がおきている」時に
「何かあったら」という言葉や、
私達がお願いしなかったら、「何もしない」という方に
「いたたまれない」という、当事者意識が必要な支援活動への
参加要請は優先事項でなかったからです。


駄記事ですが、ブログなどで公に情報を発している立場では
少なからず、(偉そうな言い方になってしまいますが)
「啓発」や「啓蒙」を意識した情報発信で、共感者による社会の変革や向上という
社会貢献に繋がる活動を行うべきだと考えていますが
その意味でも
「痛ましい事実が多いけれど、目をそむけず、痛みを感じ、
そのいたたまれなさ、矛盾や不条理を感じながらも、
この震災に、たとえ小さくて微力な手でも、その手を差し伸べる事で
少しでも協力でき、少しでも役に立つなら、
被災地、被災者を対岸の火事としないで、
同じ日本人、同じ人間として、3.11の事実や記憶を共有して
今を乗り切り、そして今後の人生をおくるべきでは」と、
発信していこうという考えでした。


従いまして、(長くなってしまいましたが)
ありんこ支援隊の解散や活動の終結は、
今後も宣言できる立場では無いと思っております。


原発事故を冷温停止で収束、と言っても、終息はありません。
双葉、相馬、浪江、飯舘など、故郷を離れざる得なかった方々の
新たな生活は始まったばかりで
戻れる日まで原発事故に終わりは無いと思います。


明日3月11日、震災で家族や大切な方々を失った方々は、
ようやく一周忌を迎えるにすぎません。
亡くなった方々は二度と戻って来ませんので、
その家族を多く失った方々の悲しみの癒えない生活も、
一年前の今日にはあった、今は聞けなくなった
家族の笑い声に満ちた食卓も元に戻る日は二度と訪れません。


その事実を受け入れ、いたたまれなさに折り合いをつけて、
その悲しい記憶の上に新たな希望や喜びに満ちた人生を求め、
今日という日を、一日ずつ積み重ねていくわけです。


私自身も、そんな東北の方々の気持ちを我がことに置き換えて、
これからの人生を積み重ねるにあたり
一年目の3月11日を過ぎようと、
今後、一生をかけて、ありんこ支援隊であり続ける覚悟です。



ありんこ支援隊は、「出来ることを、できる範囲で、できる限り」で
なんのノルマもありませんから、行わないことが悪でもありませんし、
もちろん除隊も卒隊もありません。


ふと思い立って、できることを、出来る範囲で行えば
その瞬間はありんこ支援隊隊員なのですから。


そして、上にも書きましたとおり
大切なことは、金銭や物品が必ずでは無いと思っています。


心の中で東北の血の繋がらない親戚が
今日も悲しみの記憶に負けずに、
今日という日を生きて、積み重ねている事を思い出し
涙したり、胸を熱くしたり、「よし、俺もがんばろう!」と思うだけでも
それは3.11に当事者意識を持つ人として
東北の方々と「繋がっている」のですから。


あまりにも多く使われすぎて、やや陳腐になりつつありますが
それこそが「絆」と言うものだと思いますから。


長くなってしまいましたが、3.11、一年目を前にして。

ありんこ支援隊 越後ヒゲアリ より


-----


ほとんど、原文のまま載せました。
そして、それが私への答えでもありました。


昨日、WiFiルータの支援をして下さっているトロさんから、
「ここ3ヶ月の利用がまったくないので、確認して頂けますか」というメールを頂き
お渡ししている山口さんにお聞きしてみたところ、


昨年、インターネット環境が整い、今年になってからは使用していませんでした。
使用料を、支援の方にあまり負担させては・・・・のような事も考え、
なるべく必要な時のみの使用にとどめていました。
必要な方がいたら使ってもらってください。

というお返事を頂きました。

使い放題であることを、私たちもきちんとお伝えせずに、
申し訳ないことをしたと反省し、
チーム遠征などで遠くへ行かれる時なども使って頂けるように
また、山口さんのチームや仕事周辺で必要な方がいたら使って頂けるよう、
やはりWiFiルータは、山口さんに託すことにしました。

山口さんのメールの結びには、

私も、今月から仮設住宅を
バイクの無料点検に訪問をしようと思い、準備しています。
去年、みなさんに支援して頂きましたが、
今度は、自分も支援する側に立っていきたいと思います。

とありました。
読んでいろいろなことが思い出されて、ちょっと泣いてしまいました。

山口さんへのお礼のメールの最後に
「何かお手伝いすることあれば」と書こうとして、
急いで消しました。

ありがとうございました。
私たちも「できることを、できる範囲で、できる限り」やっていこうと思います。

最後に。
いぐべ父ちゃんが「境界線」のことを書いていました。
あの日から、私もよく同じことを感じます。
いろいろな境界線が日本にできてしまって、
それは私たちの力ではどうしようもないことが悲しいけれど

心にだけは境界線を作らない人間でありたいと思います。

あれは、東北に起こったことではなく、日本に起こったことなので。

投稿者:かまた  2012年03月10日 18:00

コメント

投稿者:☆ぬーにゐ★   2012年03月11日 02:22

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投稿者:又三郎   2012年03月11日 21:57

>「できることを、できる範囲で、できる限り」

うまく言い表せませんが、それがいちばん、と思います。

わたしも同じく、
「できることを、できる範囲で、できる限り」
で行きますので。これからもよろしくお願いします。

投稿者:NSMZUKI   2012年03月12日 14:35

 一年目のその時は、忙しくて忘れていました。
仕事始めるまでは、「今日だけは忘れないように」とは思っていたのですが・・・。
去年は準備をしていて、地震で中止に成ったイベントの、今年は片付けでバタバタしてました。
いつもの忙しさで、やっと時間が繋がった気がしました。

でも、季節労働の悲しさ、暇な時期はもうそこまで迫っています。
また、東北へ行こうと想います。

投稿者:いぐべ   2012年03月12日 20:21

あ、俺の事まで拾ってもらって恐縮です。

が、残念ながらいつしか心に境界線を作ってしまった、ちっちぇ僕です。

まあ身長も5.6尺しかないし、もともとデカイとも思ってませんけどね。アハハハハァ~・・・

投稿者:   2012年03月13日 19:26

わたしも今まで通り
出来ることを出来るだけやっていこうと思ってる。
越後が動けなくても
江戸だって動けるのさ〜〜

仕事が忙しいならいっぱい働いて稼いでおこう
自分の足下が転けないように。

小名浜からメヒカリは消えてしまったけど
志津川のタコ食べにいこう。
お仕事落ち着いたらめぐろさん泊まりにいこうね。

上手く言えないが
BOSSと同じ思いだと思ってる。

投稿者:かまた   2012年03月14日 10:11

お返事が遅くなりました。

3.11のことは、どこかにそのことを書いても、書かなくても
一人一人がそれぞれの立場で、
出来ることを、出来る範囲でやっていくのが
私も一番いいと思います。

そして、ずっと以前にもブログの中で書きましたが、
これからは日本全体が大きな家族のように、
「どうしているかな。元気かな」と、日常の中で思い合っていくことが
「つながる」の第一歩ではないかと思います。

でも、知らない人のことは、なかなか思えないものなので、
ふと思い出す機会が少しでも多くなるように、
現地へ出かけて行って、言葉を交わして、触れ合って、
一人でも「東北に住む心の親戚」ができていくことが
今後の支援のカギになっていくような気がします。

亘理町で出会った川口神社のご夫婦は、
めぐろさんの外の椅子に座って
「ぜ~んぶ流されちゃったよ」とポツリと語ってくれたお父さんは、
「私、トライアスロンをやっていたんですけど、
もう出来なくなちゃったな」と言っていた牡鹿病院の看護師さんは、
みんなみんな、今お元気でいらっしゃるでしょうか。
小渕浜のワカメ漁のニュースをテレビで見たけれど、
めぐろさんの皆さんは、今ごろ漁で大忙しでしょうか。

私もまた、東北にできた血の繋がらない親戚に
大きくなったウトロンを連れて会いに行こうと思います。

投稿者:上州GS/GG   2012年03月29日 23:33

お久しぶりです。
今年は桜のつぼみもまだ膨らみだした所で開こうか、このまましばらく様子を見ようかなやんでいるようです。
東北の寒さを思うと、桜の遅れをどうのこうの言っていていいのかりませんが?……

かまたさんのおかげで何台かのリサイクルパソコンを石巻の友人のところへ送ることができました。
その後、3台セット(液晶ディスプレイ付.WindowsXP/SP3仕様)が出来上がっていますが送り先が決まらずでいます。 もし御希望先がありましたら送り先住所をお知らせ下さい。宅急便で直接お送りいたします。

投稿者:かまた   2012年03月30日 14:28

>上州GS/GGさん

こんにちは。お久しぶりです。
ありんこ支援隊でもリサイクルパソコンでご協力を頂いて
どうもありがとうございました。

現在WindousXPで、3台のセットがあるということですね。
私たちも現地で希望される方がいらっしゃったら、
すぐにGS/GGさんにご連絡させて頂きます。(^o^)/

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