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2018年05月13日

GW最終日:父との別れ

GWを綴る最後のブログです。
今回のブログは、facebookに綴ったその時の気持ちを、そのまま書き写します。

5月6日(日)


父が亡くなりました。
今朝突然、心筋梗塞と胃潰瘍を併発し、どちらの処置も難しい状態でICUへ。
頑張りましたが17時9分に息を引き取りました。
家に寄り付かない親不孝な娘だった私。お父さん、知らなかったよ。
お父さんと私、外反母趾の左足、瓜二つだったんだね。
きちんと伝えたことは一度もないけど、私をこの世に送ってくれてありがとう。
おやすみなさい。

5月9日(水)

@BOSSが入院中なので、完全に忌引休みなどできるはずもなく。
サポート電話に対応しながら仕事をこなしていると、父のことを忘れている瞬間が。
でも仏間には静かに横たわる父がいます。

あまりにも突然すぎたためか、脇に座って父の顔を見ていても、こうして目の前にいるのに、正直まだおかしな感じです。

菓子職人だった父。斎場に向かうために家を出る時には、父が働いていた「仕事場(しごとば)」を通ってもらうことに。
物がたくさんあって狭くて大変だろうけどどうしてもそうしてほしい、という妹の願いです。きっと父も喜ぶと思います。


ケーキやシュークリームの皮を焼いた釜。
切り落としたスポンジケーキの切れ端をもらって、生クリームをたっぷりつけて食べるのが大好きでした。


お饅頭を蒸した蒸篭(せいろ)。
蒸し上がって蓋を開けると、蒸気が一斉に立ち込めたっけ。


餡子だけでなく、生クリームやケーキの生地を練った餡練り機。
私のおじいちゃんの代から使っています。
懐かしいなあ。


ぐつぐつと小豆を煮ていると家中に甘い香りがした大鍋。

もうすぐ納棺。少しずつ、確実に、父とこの世、父と私に線が引かれていきます。


5月9日 深夜


通夜が終わりました。
今夜はおじいちゃん子だった姪っ子と義妹と一緒に、斎場に残って「寝ずの番」です。
(実際には寝るのですけれど。)

3人で父との思い出を語り合いました。
2人から聞く父のエピソードは、私の知る頑固で頭の固い父とは違う顔ばかり。
へ〜、お父さんにはそういう一面もあったんだ。
いや、私が一面しか見てこなかったのか。

そして2人が眠った今、祭壇の前には父と私だけ。
時を刻む時計の秒針の音だけが聞こえてきます。
父と過ごす最後の夜です。


5月10日(木)


父が荼毘に付しました。
朝から小雨が降ったり日が差したり。

事務所の状差しにあった、父が出席するのを楽しみにしていた宴会の出欠ハガキ。
「出席」に大きく丸がついていました。

お父さん、少しだけ早すぎたね。
あんなに家に寄り付かなかった私なのに、今はとても寂しいです。


5月11日(金)


精進落としを終えてウトロンと家に帰ってきた夜19時過ぎ。
妹から送られてきた写真に、姪っ子のキョーコと写る幸せそうなヨーダ婆が!

「明日東京に帰るキョーコがヨーダ婆に会いたがっていたよ。」
家に帰る途中、そうメモを添えて留守だったヨーダ婆宅の玄関先にオードブルを置いてきたのですが、それを読んですぐにタクシーを飛ばして来てくれたようです。
(しかも驚かそうと思ってか私にも黙って!)


ヨーダ婆と一緒に北海道や佐渡へ何度も行ったことのある姪っ子のキョーコも、懐かしのヨーダ婆に会えて本当に嬉しそう。
ちなみにキョーコが着ているブカブカのパジャマは、亡くなった父(キョーコにとってはおじいちゃん)が生前着ていたパジャマです。本当におじいちゃんっ子なのです^_^

そんな長い時間をともに過ごして思い出を共有するキョーコとヨーダ婆に反して、ずっと実家にいた妹は、ヨーダ婆とは実はこれが初対面。

亡くなった父が最後に作った餡子を詰めた最中(もなか)を出したそうですが、妹曰く、
「コントみたいに、口にしようとすると話し出し、さあ早くひと口!と勧めてはなかなか食べないパターンを繰り返しまくってやっと食べてもらったの。笑」
目に浮かぶようです^_^


父の最中(もなか)を泣き笑いしながら食べるヨーダ婆。
妹達からリアルタイムで写真やメールが私に送られてきて、様子が手に取るようにわかります。笑


これがその「不識庵最中(もなか)」。
通称「謙信もなか」と呼ばれています。
父が作った最後の餡子も少しずつ減って底をつき始めました。

私は帰った後だったのでその場にいれなかったのは残念でしたが、実は却ってよかったかも。

私の実家には顔を出しづらい、とずっと言っていたヨーダ婆でした。
でも妹は、そのヨーダ婆の夜の突然の来訪に驚き、喜び、
「今度は私が最中を作るので、いつでも遊びに来て下さい。」
と伝えたそうです。
父のおかげで、ヨーダ婆と私の妹という新しい縁(えにし)を紡ぐことができました。

お父さん、ありがとう。
みんな仲良くしていきます。

投稿者:かまた  2018年05月13日 21:10

コメント

投稿者:中嶋 聡行   2018年05月20日 21:16

ゼミで一緒だった中嶋です。
お父様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
高村先生も僕の家内の親友も1月に突然亡くなり
僕も人の死が身近なものとして感じる昨今です。
僕らが生きていくということは多くのいろんな
人やものを失っていく過程でもあります。
でもその人を忘れない限り僕らの中で生き続ける
ことだと思います。
ブログはゼミ生の吉田君経由で知り、本日お父様
の訃報に接しました。
僕もロードバイク乗っています。
いろいろあるけどお互い人生楽しみましょう。

投稿者:かまた   2018年05月21日 17:42

>中嶋さん

いったい何年ぶりでしょう!
もう卒業してからの方が長くなってしまいましたね。
暖かい言葉をありがとうございます。
そうですか…高村先生がお亡くなりに…。
私たちの人生はいつかみんな終わりが来ますが
(そしてそれがいつなのかはわかりませんが)
その日に悔いを残さないように、
今日一日にも悔いを残さないように、
毎日を大切に重ねていきたいなーと思う今日この頃です。
中嶋さんもどうかお元気で。
ロードバイクに乗ってどこかでサプライズな再会があったりしたら楽しいですね。
その時お互いシワやらメタボやらで分からない、なんてことにならないように気をつけましょう。笑

追伸:
私がブログやイラストを続けている根っこには、「高村ゼミ新報」があるような気がします^_^
作っていて楽しかったですね。懐かしいです。

投稿者:中嶋 聡行   2018年05月21日 21:44

高村先生の件はてっきりご存知のことと思っていました。1月8日の朝、亡くなられました。
4月15日に「お別れの会」が高尾で行われました。僕は参加できませんでしたが・・・。
その時の模様を後輩に送ってもらいました。よろしければ転送しますので空メール送付ください。
僕もそのメールであらためて先生を偲ぶことができました。
僕は今、セカンドライフに入り京都に住んでいます。(京都に永住です-上洛の際はご希望に
合わせ様々ご案内できますよ)
京都の主なところは自転車で走りました。桜や新緑を楽しみながら自転車を走らせると気持ちも
晴れやかになります。風や水の音を感じながら生きていることを実感しています。

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