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2014年03月12日

3年目の3月11日が巡ってきました

ありんこ支援隊

それ行けウトロ号

3月11日、震災から丸3年が経ちました。

@BOSSから、そして私、かまたから、それぞれの
「ありんこ支援隊」についての思いを記させて頂きます。

【@BOSSより】

3年目の3月11日が巡ってきました。

批判的な意味でなく、昨夜のゴールデンタイムに東日本大震災の番組をやっていたテレビ局はNHKだけでした。

震災後に、「ありんこ支援隊」として、現地救援活動に励まれる方々への後方支援を
全国の多くのご協力を預かりながら行っていた私たちも、予めのレジメをご用意して
ありんこ支援隊活動時のポータルとなったこのサイトに公開すべきとも思いつつもそれは行わず、
3年目のこの日を一歩引いた目線で見つめてから、その後に掲載文を公開しようと思っておりました。
(理由のひとつとして、震災後からすべての点において、復興への歩みや支援へのスタンスに、
それぞれ大きな違いが表れてきたことを感じていたからです。)

3年。

震災時に小学生だった子供たちが、中学を卒業するに至る月日が
3年という時間を表していますが、
震災直後に一丸となった支援への意識も、子供たちの成長と同様に、
生活の場や環境の違いで大きな隔たりが生じている中、
通り一遍、もしくは一辺倒に、私たちの目線や思いでの発信だけで、
この3.11という日に意見を述べても、
当時のようなまとまりも賛同も得られなくなっているはずというのが理由でありました。

報道各社のスタンスも、最初に書いたように、すでに対応が異なっております。
被災地に関しても、まだまだ手つかずで何も進んでいないところもあれば、
復興バブルで活況を呈している町もあります。
建築ラッシュに沸く町があれば、資材の高騰の影響を受け予算枠を超え、
足踏みしている町もあり、本当に様々で千差万別です。

そのような事象を前に
「私たちありんこ支援隊は、これから何に向かって、どの方向を向いて行こうか」
そう考えなくもありません。
一番苦しいところを向き続けて行くには力不足です。
一番活況のところを向けば
「もういいじゃないか」
という思いが頭をもたげるというのが事実です。

長観寺さん

「思い出したくない、でも、目をそらしたくない」

被災者のお一人の言葉を新聞で読み、これだと思いました。

震災直後、瞬間的に多大な援助を下さった方々も、
その後も黙々とご協力を続ける方もいらっしゃいますが、
ご協力くださった方々に温度差が表れるのも、
昨日の被災地・被災者のそれぞれの姿や言葉を聞けば、不謹慎でも何でもないと思えました。
そしてそんな中で、私たちありんこ支援隊は、「百葉箱」であろうと思いました。

被災者も、そうでない方々も、皆さんそれぞれが思い思いの方向を向きながら、
それぞれのスタンスで新たな歩みを進めながら、
3.11のその後からは目をそらさずに、思うところがあった時、
そっと覗いてみると、変わらぬ姿で校舎の中庭に佇む百葉箱であろうかと。

携行缶

当時、全国から送って頂き、被災地で活用された携行缶の多くが、
その後雨に打たれ錆びていくのを不憫に感じた被災者からの依頼で引き取ってまいりましたが、
それらは今もありんこ支援隊の活動時に支援物資の一時保管の場所として使っていた
倉庫の片隅に保管してあります。
それが今後も必要とされないことを希望しつつ、
でも、もしもの時には再度活用させて頂くために保管しておりますが、
そのスタンスが、ありんこ支援隊を発足し、その後皆様からご協力いただいた私たちが、
今後も負うべき責任と義務なのだと思っていることを、
この3年目の3月11日を迎え、皆様にお知らせする言葉とさせて頂きました。

ありんこ支援隊 言い出しっぺの隊員
越後のひげアリ

追伸

しばらくお会いしていなかった牡鹿の目黒さんも民宿を改築しなおして再開され、
同じく石巻の山口輪業さんもお店を新しくして営業されています。
当時は毎週お会いしていた懐かしいお顔を拝見しに、また足を運びたいと思います。
長観寺さんや白浜荘さんにも、大川小が対岸に見えるあの川沿いの道を通って、
また行きたいと思えるようになりました。

私たちも今年は、3年ぶりにラリー出場を再開します。
ここはバイクブログでしたからね。





【かまたより】

3月11日、東日本大震災から丸3年が経ちました。

実は昨日まで私はずっと、「ありんこ支援隊」について
ここで一区切りをつけようと考えていました。

今も毎月、ありんこの口座に支援金をお送りくださる方がいらっしゃいます。
けれど、実際に毎週「それ行けウトロ号」で被災地に支援物資を運んでいた3年前と違い、
今は私たちが直接現地に行くわけでなく、お預かりした支援金を
現地で活動されているとれっくか~ちゃんに託すことくらいしかやっていません。

もともと蟻のように小さい「ありんこ支援隊」の存在でしたが、
はたして今のような状態で存在する意義はあるのだろうか、と。

仕分け

支援物資

ありんこのように小さな頭で、たくさんたくさん考え、
そしていくつかの答えが出てきました。

「ありんこ支援隊」を続けるかどうかは、私が決めること、決めていいことではない。
(@BOSSが決めるということでもありません。)

とれっくか~ちゃんが届けてくれる先に、喜んでくれる方たちがいる。
それはお金やものに対してでは決してないはず。

ありんこの力など小さく、無いに等しいことは最初から分かっていることで、
被災地に対してできることなど何もないけれど、
被災地に住む知り合い・友人に便りを出すと考えればいいのではないか。

今もありんこの活動に賛同して協力してくださる方がいるのに、
それをこちらから辞めるのはどうなのか。

そんなことを徒然考えていたら、ありんこをやめる理由も特に見当たらなくなりました。

それに、もし「ありんこさんは解散した」と聞いた時、
長観寺さんや山口さん、民宿めぐろさんは、どんな気持ちになるだろうか。
もちろんそれを止める方はいらっしゃらないだろうけれども、
少なくともハッピーな気持ちになることはないはず。
それならば、「解散」を表明するそれよりも、
「これからも忘れない」ことを表明する方がずっといいのではないか、と。

その昔、キャンディス・バーゲンというアメリカの往年の女優が、
「友だちのいる国とは戦争しようなんて思わないでしょう?」
とテレビで言っていたのを聞いて、幼心にものすごく共感したことを強く覚えています。

3年目の3月11日となった昨日、
テレビでは震災関連の特集番組を組んでいるのはもはやNHKくらいで、
民放はバラエティの2時間スペシャル、3時間スペシャルのオンパレード。
「3.11の風化を懸念する声が」と新聞にありますが、
実際には確実に風化し始めていると感じます。

でも、遠く離れたところに住んでいる人にとって、
いつまでも昨日のことのように覚えているというのは難しいことです。
それよりも、「現地に住む友人のことを思う」というのが
「忘れないこと」いつながる現実的な方法だと私は考えます。

ウクライナの情勢が逼迫し、ソ連と一触即発であるというニュースを見ても、
ウクライナに知り合いのいない私にとっては、今の情勢は心配ではあるけれど、
どうしても「対岸の火事」と感じてしまいます。

だから、(以前にも一度書いたと思うのですが)
今も被災地や仮設住宅に住む方たちと、一人でも多くの人が
何らかの関わりを持つことが、風化を防ぐ方法だと思います。

ウトロン

ありんこ支援隊は3年前とは活動の内容が大きく(小さく?)変わりますが、
状況とニーズが変われば当然のこと。
それよりも、こうしてブログを読んでくださる方たちに、
現地に住む私たちの友人の様子を時々お伝えすることで、
間接的にでも思い出して頂けるだけでもいいのかなと考えるようになりました。

そんなわけで、ありんこはさらに細い路地の中を、
ゆっくりゆっくり進んで行こうと思います。

             かまたいくよ

追伸

機会がありましたら、何かの折に、3年前の長い長い記録
読み返して頂けたら嬉しいです。
(下に行くほど古い記事になります。)

投稿者:かまた  2014年03月12日 19:00

コメント

投稿者:Nori   2014年03月13日 07:44

どうしても、阪神淡路の時と比較してしまう自分がいるんですけれども、そういうものでもありませんし。
復興予算が余ってしまっている現実を見ても、どれほど難しい作業なのかが窺い知れるというもので。
ただ、頑張って生きてもらいたい。
というのが私の我が侭な願いだったりします。
忘れちゃいないよ。なんて、偉そうなこと、言える立場でもないので、口をつぐんでしまいますけれども。

投稿者:とれっくか~ちゃん   2014年03月13日 09:25

Facebookにて、シェアさせていただきました。
震災の日には、あの14:46に黙祷しかできませんでした。
3.11当日に何が起こったのか?津波って?
自分自身も強い地震に恐怖心、落ち着かない時間が過ぎてた。
3年前の今日 確か?『まだ、3日目か』という気持ちも、有りましたが
沢山の方々が行方不明のまま
次男坊のお嫁さんのごお母さまとお兄さん家族も安否不明
徐々にアチコチからご遺体が安置所に運ばれ、身元確認が出来て来たのが1週間ほどの時間が過ぎてました。 1週間でも、早い方でしたが 亡くなられた方々が沢山いらしたので、火葬ができないとか、山に埋めて、後で掘り起こすとか そんな、3年前でした。
ありんこ支援隊さんのお陰様で、今日まで『ライダー支援活動』を継続出来てます。沿岸部の方々の『笑顔』も沢山頂けてます。
支援活動の形は変わって来てますが
私たちの『こころ』は、一度繋がった『絆』『ずーっと忘れない3.11』
『共に頑張ろう !!』
私には、大きな力はないけれど、お茶のみに行くことや
近況を見に行くこと、被災地でお買い物をすること(パン一つでも)
そして、『大切なお友達の 目を見てお話をしてくること。』
今でも忘れられない言葉が頭から離れません
『こんな、何もなくなった所に誰も来なくなることが、忘れられる事が怖い』『復興の工事車両が動か無くなったら、本当に寂しい町になる。』
『だから、何も支援物資が無くても良いから! 遊びに来てください。』
まだ、実現できてない沿岸部へbikeで遊びに行くこと、今年は行きたいなぁー。


『ありんこ支援隊』さんの、今までの活動を 昨夜全文読みました。
本当に
『ありがとう』
沢山のありんこさんのお陰様で
今が繋がっていると思ってます。


投稿者:@BOSS   2014年03月13日 10:21

とれっくか~ちゃん
コメントありがとうございます。
それと、文中にお名前を出さず申し訳ありません。

本当は、トレックさんや拓さん、たくみさんとかのお名前を書きたかったのですが、
お一人のお名前を出せば、すべての方のお名前も出さねばならないという理由で、
どなたのお名前も出さない文面にいたしました。

でも、すべての方々のお名前やお顔を思い出しながらの
3年目の3月11日の思いでありましたこと
ここで再びお伝えできれば幸いです

>まだ、実現できてない沿岸部へbikeで遊びに行くこと、今年は行きたいなぁー

あ~いいですね。
あの牡鹿半島や、北上川沿いをバイクで行きたいですね、
か~ちゃんと走れたら最高です!

投稿者:かまた   2014年03月13日 18:45

>Noriさん

Noriさんには私たちありんこ自身のことも(そしてシャリのことも)
たくさん支援して頂きましたよね。
本当にありがとうございました。

 >>忘れちゃいないよ。なんて、偉そうなこと、言える立場でもないので、口をつぐんでしまいますけれども。

奥さんに「愛しているよ」なんて死んでも言わない、言わなくてもわかっているはずだ、
というのが九州男児だそうですが、ある街頭アンケートによると
もし言われたらやっぱり嬉しいと、九州の奥さま方は思っているそうです。(笑)
Noriさんが忘れてなんかいないこと、私たちにもよーくわかっていますが、
偉そうなこととか思わずに、「忘れちゃいないよ。」と声に出してみるのも
現地の方にとっては嬉しいことかもしれないですよ。^^


>とれっくか~ちゃん

いつもありがとうございます。
「読み返して頂けたら嬉しいです。」なんて書いておきながら、
あの時の記憶、できたら蓋を開けたくないという気持ちも正直あって、
私自身、普段は読み返せない当時のブログ記事なんですが、
今回順番に読んでいく中で、か~ちゃんが作ってくれたパリパリの海苔のおにぎりの写真を見たら、
もうなんかいろんな気持ちが湧いてきて、仕事中なのに涙が出てきてしまいました。

か~ちゃんがいなかったら、今ありんこは現地とつながっていなかったかもしれません。
本当に「ありがとう」は私たちの言葉です。

そうそう、か~ちゃんがウトロンを抱き上げようとして、
必死に逃げるウトロンの写真が何枚かありましたが(笑)
あの頃ウトロンはまだ生まれて8ヶ月くらいの大きな仔犬だったから、
今はもう、か~ちゃんの細腕ではとても抱きかかえられないと思います。
あの写真からも、ああ、3年たったんだなあと改めて思いました。

まだ、実現できてないこと。
か~ちゃんとトラ車で山遊びをするというのもその一つです。
今年は行きたいなあ。

投稿者:又三郎   2014年03月13日 23:08

もう3年。でもまだ3年。

ゆっくり、ゆっくり、いいじゃないですか。
形が変わろうと、ありようが変わろうと、気持ちは変わらないでしょう。

そんなありんこさんに、ほんのわずかながらでも手助けができれば、と思い続けています。

投稿者:かまた   2014年03月14日 20:47

>又三郎さん

私とありんこが又三郎さんにどれだけ支えてもらってきたか。
言葉には到底できません。
いつも変わらず、本当に、本当にありがとうございます。

先は長く、ゴールが見えることはないのかもしれませんが、
ゆっくり、ゆっくり、前に進んでいこうと思います。

もう一度、本当にありがとうございます。

投稿者:ビーバー隊長   2014年03月21日 22:08

ご無沙汰しております。
今年も3月9日にスカウトの子どもたちと被災地復興支援の街頭募金を行いました。
わずか1時間半ほどでしたが75935円の善意が集まりました。
遠く離れた大阪で、です。
皆、表向きは何もなかったかのように生活していても、
今も被災地に馳せる想いは変わっていないのではないでしょうか。
3年前はまだ物心もついてなかった子どもたちに、あの日の出来事を伝えていくプログラムも行っています。
私も一匹のありんことして。
今も全国に生息するありんこのちからは決して小さくはありませんよ。

投稿者:かまた   2014年03月24日 22:55

>ビーバー隊長

ご無沙汰をしております。
その節は本当にありがとうございました。

ボーイスカウトの募金活動、1時間半でその金額は正直驚きました。
当時に比べれば、表立った話題にはならなくなったとしても、
確かに一人ひとりの想いは変わっていないのかもしれないですね。
距離も仕事も関係なく、私自身ありんこの一人として何ができるのか、
これからもずっと考えていこうと思います。

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