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2011年03月31日

石巻へ

なかなか報告のブログが書けずにいますが、ようやく先回の報告を少し。

3月27日、再び仙台と石巻へ行ってきました。
すでに東北道は緊急車両以外にも開放されましたが、
SAの給油所は自衛隊、消防車、警察庁などの緊急車両が優先で
高速道路から見える下道のガソリンスタンドには、
どこも数キロにわたる行列ができています。

三陸自動車道も鳴瀬ICから先は緊急車両のみ。(3/27現在)

それいけウトロ号
私たちは一応緊急車両の登録はありますが、
高速道路ではやはり「本当の緊急車両」のために、
また被災地ではずっとガソリンを待っていた現地の方の分を使わないように
帰りの分までバスには自前の軽油を積んで出発しました。

この日はまず、石巻でケイタリングをされているSSERの皆さんを訪ねました。

SSER
石巻商業高校には、ひとつの島からヘリコプターで避難した
200名の方が避難しています。
今は、親戚や他の県に移った方も大勢いらっしゃるので
この避難所で過ごす方は150名くらいに減ったそうですが、
それでもまだこの150名を擁する避難所であるのに
Yahoo!のトップにある「避難所情報」で探すことができませんでした。
理由は、自治体管理下ではなくNPO管理下の避難所だからなのだそうです。

石巻商業高校のグラウンドは、一見雨の降った後の普通の校庭に見えましたが
実は流されてきた厚いヘドロに覆われていました。

厚主さんにお話をお聞きしました。
3月28日のSSERのつぶやきブログにもありましたが、
物資支援者の心遣いと現場とのミスマッチングで
提供された炊飯済みご飯を廃棄しなければいけなかった話は
聞いている私たちも何ともやるせない思いに。

基本的にはNPO団体は自治体からの支援の対象外となるために
自治体で管理しきれないような余剰物資でも受け取ることはできないのですが
それでも様々な支援で食料の方は足りてきたそうです。

私たちもここへ来る前日に軽油や焚き出し用の燃料などが足りないとお聞きしていましたが
直前に東京から燃料の支援が届いたということで、軽油だけをお渡ししました。
石巻の地元でもガソリンスタンドに並べば燃料が手に入るようにはなってきたのですが
「並んでも数時間かかるし、何よりもここに住む被災者の方の分のガソリンを
私たちが使うわけにはいかないので、ガソリンスタンドには並ばないようにしています。」

また、校内は暖房がきくので被災者の方が寒さで震える事はあまりないそうですが
SSERはじめ他のNPOのボランティアの方たちは校内で寝泊りはせず
外のケイタリングテント内に簡易ベッドを並べて、そこで過ごしていらっしゃいます。

女性のスタッフの方がバスの中にいたウトロンを見つけて
「触ってもいいですか?」
もちろん、ほらウトロン、おいで。
「被災者の皆さんは近くにお風呂があってそこに入りに行く方もいらっしゃいますが、
私、もう一週間お風呂には入っていないから犬より匂うかも~(笑)。」

沿岸部の方に避難して、取り残されている被災者がいないか
ひとつでも多くの避難所を把握するために行っているそうですが、
激甚災害地区の女川の方面は、まだまだかなりひどい状況だそうです。
この避難所はかなり落ち着いてきたので、数日内には
女川方面へ移動をしようと検討しているところだとか。

日が射したかと思えば雪が舞ったり、とても寒かったこの日の石巻。
皆さんの笑顔に見送っていただいて避難所を後にしました。

石巻港へ向って走ってみました。


街のようす
私たちが通った街のようす。
倒壊しているお店などもありますが、多くの建物は
外側は残っているものの、中は水とヘドロにやられて
たたみ、冷蔵庫、机・・・家財一式が家の外に運び出されています。
壊れた家と壊れていないけれど住めないかもしれない家、
保険の問題もこれから様々起こってくると思います。

石巻港へ近づくと、津波の爪あとはさらに生々しく、
街が根こそぎ流され、家の基礎すらありません。
車はブリキのおもちゃのようにひしゃげて木の枝にかかったまま。
すべてが波に破壊され、電柱は割り箸のように折れています。

石巻
さやか嬢曰く、「絶対にテレビや写真では伝わらないと思う。」

3階建ての建物の壁に書かれた「たすけて」という赤いスプレーの文字。
一台一台、窓ガラスを割って車内を確認した後の自動車。
長い棒とスコップを持って、行方不明者を確認しながら
少しずつヘドロを片付けて道をつける自衛隊。
少し広い場所に張られた自衛隊の大きな天幕はおそらく遺体安置所では・・・

ここで3週間前に起こった出来事を想像すると息ができなくなります。
そして、それが現実だったということを目の前の景色が証明してみせます。

私は自分の中の均衡を保つために、
「ありんこ支援隊」として動きたいのかもしれません。

牡鹿半島へ向かう海岸線の道路は、
もともと4車線の大きな通りだったようですが
山と積まれた瓦礫やヘドロを重機で両側に空けることによって
今ようやく2車線が通れるようになっていました。

道の途中でUターンをしました。


夕方、AD/tacさんたちの活動本拠地、ストレンジモーターサイクルに到着。

ガソリン
新潟から運んできたガソリンと灯油を携行缶に移します。

この一週間のtacさん、ヒラチさん、たくみさん達の活動は、
tacさんのブログに詳しく書いてありますが
取り残されている海岸部の小さな村で避難をされている方達の情報を聞き
そこへ物資を運んで行ったとしても、
「何しにきた?何か盗りに来たか、売り付けに来たか?」
と疑われたりするのだそうです。(決してtacさんの風貌のせいではなく。^^;)

そんな時は、地元の区長さんや、知り合いの知り合いというツテがあれば
それで信頼をしてくださるのだそうです。
また、心が打ち解けても、そういった人たちは遠慮がちで
必要なものを聞いても決して要望を言わないので
様子から察して、次回にそれを届けるしかないのだとか。

そんな話を聞く一方で、ヒラチさんがこんな話をしてくれました。

ある公的避難所では、バスケットコート2面ほどの体育館の半分を占める
3mの高さに積まれた支援物資のダンボールが詰まれ、
行き場(配給先)がないのだそう。
その様子を写真を撮ろうとすると、
「写真はやめてください。余っていることが公表されるとまずいので・・・」

きっと自治体も必死に処理をしているのだと思うのですが
避難所の状況に加え、人手不足、情報処理、物流状況、
次々に変わる状況に対応できずにこうした悲しい結果を生んでしまうのでしょう。

「ま、せっかくなのでコーヒーでも。」

応接室
ストレンジモーターサイクルさんの仮設応接室。
ここで物資の仕分けも、仕事もしているtacさん。
足の踏み場がギリギリあるくらいです。

皆さんに報告するためにブログを書かなくてはと思いつつも
夜8時頃にウトウトして、そのまま朝を迎えることもよくあるそう。
でも、半島の沿岸部に避難している人は
ガソリンがないので町にも出て来れず、やはりもうしばらくは
こちらから届ける必要があるようです。

tacさんとウトロン
ということで、今週もtacさんに差し入れできるのは「癒し」だけ。


かなり遅くなってしまったけれど、この後トレックフィールドさんへ。

トレックフィールド
道行く人を元気にするために、と店頭に物資が並べられています。

とれっくと~ちゃんと@BOSSがガソリンを分けている間に
とれっくか~ちゃんの話を聞きました。
(ちゃんとお話するのは今日が初めてです。)

とれっくか~ちゃん
「お菓子も食料も、そのまま差し出すとみんな遠慮をするんだけど、
こうやって小分けにすると気軽にもらってくれるんだよね。」
一つ一つとれっくか~ちゃんが詰めた小さなお菓子の小袋。

小分けのお菓子
「自分はいらない、って遠慮して言う人にも
『あんたはいらなくても、子どもにあげて!
そうでなかったら近所の子にあげて!』と言えばもらってくれるし。」

「でもね、誰にでもあげるんじゃないのよ。
仙台は結構物資も入ってきたから、ちょっと努力すれば買える人もいる。
その努力をしないで、物だけもらおうとする人には絶対にあげないんだ。
買いたくてもガソリンがなくて買いにいけなかったり、
お金がなくてお菓子なんか買えなかったり、
みんないろんな我慢を強いられていて、不安もいっぱいなんだよね。
我慢している人ほど、遠慮してもらわなかったりするんだけど、
そういう人には押し付けてでも渡すの。
ほ~ら、これ食って元気出せ!って。
そうするとね、みんな目に涙を浮かべてね・・・」

とれっくか~ちゃんのすごいところは
こうして話をしていると、すごく明るい言葉で心の琴線にふれること。
みんなが涙目で帰っていくのがよくわかります。

たぶん、トレックフィールドさんで配っているものは「希望」です。

「正解なんてない。自分が、やろう!と思ったその時に
それをやってみればいいのよ!」
昼に見た石巻の風景に押しつぶされそうになっていた私も
か~ちゃんから本当にたくさんの元気もらいました。
あんな人になりたい、と思います。

とれっくか~ちゃんと
Photo:トレックフィールド
夜なのでわかりにくいのが幸いですが、実はうるうる目の私。

本当は、私たちが元気を届けに来なければならないのに、
逆にたくさんの勇気を頂いて帰路につきました。
とれっくと~ちゃん&とれっくか~ちゃん、
本当にありがとうございました。

---


この日、新潟に着いたのは深夜2時頃でした。
石巻で見た風景が頭に焼き付いて、体はクタクタなのに
この夜はほとんど眠れなかったというさやか嬢。
でもそれが被災地の現状であり、現実です。

あの惨状を一度見てしまうと、
こちらに帰ってきてから見るテレビニュースの映像に
いろいろなことがフラッシュバックして苦しくなりますが、
私の足元でヘソ天になって寝ているウトロンを見ると
くすっ、と笑えてホッとします。

この週末は、激甚被災地で物資を配っている「たくみさん」と一緒に
現地を回らせていただく予定です。


さて、もうすぐ次のプロジェクトを発表します。

プロジェクト名 「届けよう、光を!」

※注/NTTのキャンペーンではありません。^^;

投稿者:かまた  2011年03月31日 11:11

コメント

投稿者:スケテツ   2011年03月31日 12:21

なに、ありんこがウチに光ケーブルを引いてくれんの!
(+_+)うれしい~

>プロジェクト名 「届けよう、光を!」

投稿者:masato/がべじん   2011年03月31日 12:35

ごめんなさい!
ガソリン携行缶(5L)あげられるやつ、見つかったんだけど…
放置してたやつなんで、ねじこみ蓋のOリングがひび割れてダメに
なってて、危険なので、すぐに送れません。
製造元に耐油Oリングだけ買えるかどうか問い合わせします。
ほんとごめんなさい。

投稿者:masato/がべじん   2011年03月31日 13:41

先ほど製造元に電話が繋がり、今日、ねじこみ蓋のOリングパーツを郵便で送ってくれるそうです。ではそれが入り次第、被災地に提供(あげちゃってOK!)します。まっててねアリンコ隊〜。5Lと容量は少ないのですが、ホワイトガス用とか何かに使えると思います。

投稿者:hiro   2011年03月31日 14:17

いつも拝見させていただいております。

ずいぶんと前にかまたさんが事故起こした時になぜか英語で書いてしまったものです。

私の家にもガソリンタンクではないのですが、携行缶があります。(灯油などを入れる口の広い 1口 のタンク)といったら言いのでしょうか。そういったものでも役立てるのでしょうか?

小樽 銭函にあるアリババに出入りしているのですが、そこで使っていない携行缶などもあったはずです。それも送れば使えるものなのでしょうか?お知らせ下さい。

投稿者:O&クロ   2011年03月31日 16:18

ご苦労さまです。ちょっとウルウルしています。
福島も仙台と近い状況で、町には物が入り始めています。が、燃料は何時間も並ぶようです。
問題は相馬や南相馬で、特に原発の室内待機地区はたいへんなようです。福島市から援助を送るNPOが動き出しているようです。
ありんこ隊、みんなで応援していますのでがんばってください。

投稿者:2ケツのGS   2011年03月31日 19:04

去年の白馬でお世話になった矢野塾エロ隊員ですG450 Xでお尻の痛みを訴えてた、、、、、(苦笑)
ありんこ支援隊に共感を覚えました!
私の会社の従業員や仕入れ先の方の中にも、被災された方が、いるようです。中にはペットがいるために、避難所にも行けず、自宅難民と化している方も!
そんな人々を少しでも力付けてあげたいです!
三日分の給料は無理かもしれませんが、可能な限りの義損金を贈りたいと思います!
振込先をご連絡ください!
また、携行缶は今週末被災地の甥っ子にガソリンを届けたいという、従業員に貸してしまってないのですが、XR250Rのポリタンクでしたらスペアがあるので差し上げられますが、役に立つでしょうか?

女王アリとエチゴヒゲアリさんがみんなの気持ちを被災地に届けていただけることに感謝します!
最後に  まだ余震が収まっていません。くれぐれも活動には細心の注意を図ってください!

投稿者:Oとクロの弟   2011年04月01日 00:48

私は週末に相馬に行ってきます。
だんだん福島も平常に戻ってきたので
もう少しで相馬に遠慮なく行けそうです。
おたがい、元気と希望を渡せるように!
がんばりましょう。

投稿者:オードリー   2011年04月01日 13:39

>スケテツさま

光ありんこプラン、月々2450円から。
キャンペーン期間につき、最初の1ヶ月はレンタルウトロンが無料です。
なお光ケーブル工事には、エチゴヒゲアリが伺わせていただきます。

>なに、ありんこがウチに光ケーブルを引いてくれんの! (+_+)うれしい~

投稿者:かまた   2011年04月01日 13:42

>masato/がべじんさん

うわ~ん、すごく面倒をかけてすみません。
でも、ありがとうございます、助かります。


>hiroさん

お電話ありがとうございました。
ガソリン缶、本当に助かります。ありがとうございます。

え~、事故を起こしたつもりはないのですが^^;
あの時死んだかもしれないのが、こうして助かった命なので
今回の震災で助かった方を少しでもお手伝いできればと思っています。


>O&クロさん

福島市が日常にもどりつつあるなら、
そこを拠点に支援活動も大きく広がっていきそうですね。
被災、とひと言で言っても様々な状況があり
特に福島は原発の問題を抱えているので
これからいろいろな問題が起こってくるとは思いますが、
とにかくみんなが心から希望を失わずに、と願いつつ、
ありんこはありんこらしく、とにかく出来ることから、と思っています。

投稿者:かまた   2011年04月01日 13:45

>2ケツのGSさん、

どうもありがとうございます。
今朝ほどメールお送りしました。
バイクのスペアタンクは、お気持ちだけしっかりと頂きますので、
そちらで万一の時にお使いください。

ありんこ支援隊は全員が「働きアリ」なので、「女王アリ」はおりません。^^


>Oとクロの弟さん

お疲れ様です。
相馬は津波とはまた違う大きな問題を抱えているので
物資の支援もほかと違う状況であるかもしれませんが
もしお手伝いできることがありましたらご連絡ください。

私たちも、少しでもたくさんの元気と希望を
届けてきたいと思います。

投稿者:じじフクダ   2011年04月01日 19:19

自分の中に均衡を保つという言葉に本当に共感を感じます。私もTVの悲惨な状況を見続けるうちに、自分が{うつ」になってしまうのではと恐れて、今は都内での援護ボランティアに参加してなんとかうつから逃れようとしております。

どうごご自身の健康にご留意されて、ご健闘を祈るばかりです。

投稿者:かまた   2011年04月02日 00:38

>じじフクダさん

ご心配ありがとうございます。
たぶん、ありんこにご共感、ご協力頂いている方の多くが
少なからず自分の中の均衡を保つ為に、という部分があるような気がします。
でも、それは正常な心の働きだとも思うんです。

そんな私のそばにいる、雷や余震にも全く動じないウトロンは
トランキライザーの役割を十分果たしてくれています。
(番犬にも牧羊犬にもなりませんけれど。泣)

投稿者:hiro   2011年04月02日 09:59

今日にでも仲間に会いますので、色々と相談してみます。
当方はチーム アリババにて送りますね。

もうちょっと時間下さい!!

ちなみに・・・
私の母はかまたさんのブログ時々見ているとの事です。かまたさんに刺激を受けて今まではバイクなんて危ない!といっていた母ですが、バイクの免許を御年60近くですが、取る気になっております。

もっとも私がbossのように母親をバイクに乗せてツーリングに行こう!なんて話をしたからなのですがね・・・

投稿者:かまた   2011年04月04日 10:41

>hiroさん

お母さま、すばらしい!
ぜひ免許を取るまでの過程をブログでご紹介ください!
お母さまの挑戦は、全国の男性陣に活を入れ、
女性達には大いなる勇気を与えることでしょう。

それと、@BOSSとヨーダ婆のような親子(母子)でのツーリングって
タンデムでもソロです、ものすごく親孝行になる気がします。
ツーリングは車での旅行に比べて、はるかに大変かと思いますが、
きっとお母さまは、今まで想像もしたことのない世界を知ることになり、
それはもしかしたら海外旅行よりもすごい経験になるかもしれません。
実現される日がきたらステキですね。^^