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2008年05月23日

バニウトロの絵

先日、会社に少し大きな箱が届きました。

なんだろう?

箱を開けたとたんに目に飛び込んできたのは
笑っているバニウトロの顔でした。

うわ~!なに?

それは、ばーにーパパからの
バニウトロのパステル画でした。

パステル画

「知人に描いてもらったバニウトロです。
ご迷惑でなければ、バニウトロの脇にでも置いてください。」

そうメッセージが添えられていました。

会社で人目もありましたが、
涙が止められませんでした。
なぜなら、そこに描かれたバニウトロの顔は
元気だった最後の日、4月5日
お医者さんへ行って麻酔を打つ前の、
車に乗って笑っていたバニウトロだったのです。

いろいろな思いがわいてきました。

この絵を描いて贈ろうと思いついて下さった事へのありがたさ、
「ほ~ら、絵を描いてもらったんだよ」
そう言ってバニウトロに見せたいのに、
もう決してそれができない寂しさ、
そして、こんなに楽しそうな顔で出かけたのに
この日を境に立てなくなったことへの尽きない後悔・・・。

この日の、この瞬間に戻れたら、と
何度思ったかわかりません。

家に帰って、白い箱を見る毎日に、
ある程度はふっきれたつもりでいましたが・・・。

でも、後悔の気持ちも決してごまかさないで
もう一度バニウトロに会う日まで
しっかりと生きていかなくちゃ、ですね。


さて、もう一人、複雑な思いでこの絵を見る人がいます。
@BOSSです。

最近、仕事先から戻って車を降りた@BOSSの目が
赤くなっていることがあります。
(こんなこと書いちゃっていいのでしょうか・・・)

@BOSSは@BOSSで、バニウトロがいない現実を
受け止めなくてはならないと思いつつも
やはりふとした折、特に車を運転していると
思い出してしまうようです。

昔、「思い出のアルバム」で紹介したことがありますが
@BOSSは絵を描きます。
会社を始めてからは、ほとんど
筆を持つ時間はなくなってしまったので、
正確には、「描いていました」が正しいのかな。

会社に@BOSSの描いた絵が何枚か飾ってありますが
ほとんどが、昔@BOSSが飼っていた
愛犬の「クロ」と愛猫の「ヨモ」です。

クロ1
「クロ」(水彩画)

クロ2
「クロ」(水墨画)

クロ3
「クロ」(水彩色鉛筆画)

クロ4
「クロ」(水墨画)

ヨモ
「ヨモ」(水彩色鉛筆画)

贈られたバニウトロのパステル画を見た@BOSSは
会社に一枚もバニウトロの絵がないことを後悔していました。

忙しさを理由に、12年も育てたバニウトロを
一枚も描いてあげなかったことへの後悔なのでしょうか。

写真はたくさん残っているけれども
じっくりと向かい合って、観察して、対話しながら
時間をかけて描きあげることを
生きている間にしてあげられなかったことを
今更ながらにつきつけられたかのようでした。

そして、今、会社に飾ってあるすべての絵が
クロとヨモの「遺影」となってしまっていることも
あえてバニウトロの絵を描けなかった
理由の一つだったのかもしれませんが、
そのバニウトロも、亡くなってしまいました。

自らが描いていても、描いていなくても、
いずれにしても「遺影」となってしまった現実。

このパステル画は、その現実を
はっきりと@BOSSに物語るものでした。

@BOSSも、やはり涙をうかべて、
バニウトロの絵を見ていました。


ばーにーパパ、すばらしい贈り物をありがとうございました。
贈って頂いた絵は今、バニウトロの隣にあります。

こうした暖かい思いやりをつむいでくださる皆さんへの
言い尽くせない感謝の気持ちと、また、
このようにして頂けるのは、バニウトロが最後まで
必死に懸命に生きてくれたことのおかげだという
バニウトロへのありがとうの気持ちと誇り、そして、
この嬉しそうに笑っていたバニウトロに
トリガーを引いてしまったのかもしれない自責の念。

すべてをひっくるめて、
きっと、この絵を見るたびに、私も@BOSSも
「そうだ、私たちも"今"を一所懸命生きなくては」
と思い出すことでしょう。

この絵は、心の奥に深く残るすばらしい贈り物となりました。

投稿者 utoro : 21:56 | コメント (3)

2008年05月09日

シャリ

ゴールデンウィーク最終日、
スタッフより一足先に会社に出ていた@BOSSから
お昼過ぎに電話がありました。
行ってみると、大きな箱が。

うわぁ・・・・・・
バニウトロにお花を頂きました。

どうもありがとうございます。

献花1
らいす家の皆さんから、白いお花。

献花2
テリイデさん&ぐにちんから、赤いお花。

そして、今朝も・・・・・・。

献花3
ちゃべ母から、黄色いお花が。

みなさん、本当にありがとうございます。

お花ももちろんうれしいですが
心にかけて頂いていることが、何よりうれしいです。
また、ブログに頂くコメントの一言一言も
心に染み入るくらいうれしいですし、
すべて、バニウトロへの弔電、お手紙だと思っています。
また、コメントはなくても、ブログを読んで
画面の向こうから応援してくださる皆さんにも
本当に心からお礼を言いたいと思います。

さっそくお花をバニウトロにお供えしました。

ほら、きれいだね、バニウトロ。
いい匂いだね〜。
でも、食べちゃだめだよ。(笑)


早いものです。
バニウトロが旅立って、一週間が過ぎようとしています。

あの大きな黒い体がどこにも見当たらなくなって
ポッカリと空いてしまった空間と、妙な静けさに
まだなかなか慣れません。
家にはいつも「足りない感じ」が漂っています。

そして、それを一番感じているのはシャリかもしれません。
なぜなら、私が留守の間、一日のほとんどを
バニウトロと一緒に過ごしていたのですから。
過ごした時間の長さは、私よりシャリの方がずっと長いはず。

シャリ
いつもバニウトロが横になっていた場所。つまんない。

シャリ
つまんない、つまんない。

バニウトロが寝ていた場所でスリスリ。
匂いが残っているのでしょうか。

シャリ
バニウトロのバケツから水を飲むシャリ。
シャリにはちょっと大きすぎるね。

自分の食器があったのに
こうしてバケツから水を飲むようになったのも、
猫砂のトイレが2つもあるのに
大きなトイレシートでおしっこをするのも
どれも、バニウトロが始めると
シャリはすぐに真似をしたからです。

生まれて間もなかったシャリがこの家に来た時から
バニウトロはずっとそばにいました。
トイレも、ごはんも、シャリのしつけは
ぜんぶバニウトロがやってくれたようなもの。

おかげでシャリは、お刺身だろうと、焼き魚だろうと
決してテーブルの上のものを
取って食べることをしない猫になりました。
しつけてくれた当のバニウトロは
目を離すとテーブルをすっかりたいらげてくれましたが・・・。

シャリ

バニウトロが白い箱に入って帰って来た夜、
シャリはバニウトロのリードに
鼻をこすりつけていました。
薄暗くて、うまく写真が撮れませんでしたが
なんだか切なくなってしまいました。

「死」というものを
シャリがどれくらい理解しているかはわかりませんが
「バニウトロがなぜかいない」ということが
とても気に入らない様子で、
毎日シッポをトン、トン、と動かしながらじっとしています。

一番変わったのは、夜、私のふとんに入ってこないで
バニウトロがよく座っていた座椅子に丸くなって
眠るようになったこと。

けれどこの間、私が横になって、つーっと涙を流していたら
すぐ隣にとことことやってきて
甘えるでもなく、まるで私を慰めてくれるかのように
私の顔の横に伏せをして、黙ったまま遠くを眺めていました。

コイツ、なかなかわかっているじゃん、
とちょっと笑ってしまいました。

シャリと話が出来たら
尽きることなくバニウトロの思い出話をして
長い夜を過ごすことでしょう。

投稿者 utoro : 11:53 | コメント (12)

2008年05月05日

バニウトロ、空へ

5月3日。晴れ。
今日は、バニウトロとの本当のお別れの日。

バニウトロはすでに虹の橋行きのバスに乗って
旅立っていったのですから、
今、ここに横たわっているのは
バニウトロが生きている間に使っていた
言わば、借り物の黒と茶色と白の体。
名前を呼んでも、身体をなでても
もう返事は返ってきません。

それはもう十分にわかっていても、別れがたくて
最後のお別れの時まで、バニウトロに生前したように
首のふさふさした毛をなでて、
肉球をさわり、匂いを確かめ、抱きしめながら
「時間が止まってくれたら」と祈らずにはいられませんでした。

午後3時、@BOSSがバニウトロのために
バスの用意をしてくれました。
バニウトロの、今生での、本当に最後のバスへの乗車です。

見送りのバス
すっかり葉桜となった家の前の桜の木。

@BOSS
今日はすぐ隣にバニウトロがいなくて寂しそうな@BOSS。

お向かいのTさんのお母さんと息子さんが、
野辺送りをしてくださいました。
犬を飼ってはいけないという、昔からの慣習のあるこの村で
留守中、バニウトロを心配してくれた方たちです。

「あなたの家は忙しくて、バニウトロはお留守番が多かったから
このGWはずっと一緒に居れてうれしかったと思うよ。
看病されている間、できるだけ長い時間一緒にいたいと思って
もっと甘えていたい、と最後までがんばったんだよ、きっと。」
Tさんのお母さんがそうが言いながら、
バニウトロの頭をなでてくれました。

途中、コタンさんと左助にもお別れ。
左助がクンクンとバニウトロに鼻を寄せています。
コタンさんは、バニウトロが道中お腹をすかせないようにと
おやつを持たせてくれました。

コタンさんと左助
「またね、バニウトロ。元気でね。」コタンさんとお別れ。

@BOSSが運転するバスの中、
ヨーダ婆と私はバニウトロの枕元に座り
赤ちゃんにするように、バニウトロの手をにぎりながら、
佐渡旅行中によく聞いた子守唄、
「童神(わらびがみ)」を歌ってあげました。

  イラヨーヘイ イラヨーホイ
  イラヨー 愛(かな)し思産子(うみなしぐわ)

           (古謝美佐子作詞・佐原一哉作曲)

子守唄

バニウトロは12才だから
人間でいえば、80〜90才。
私たちよりずっとおばあさんですが
こうしていると、やはり子どものよう。

この身体にもう触ることすらできなくなってしまうなんて
まだ信じられない気持ちです。


午後4時30分、
私たちが手を合わせて見守る中、
バニウトロは荼毘に付されました。

バニウトロの煙

煙は、時に激しく、時に緩やかに
ぶなの枝を揺らしながら、高くたなびいて
大空へと舞い上がっていきました。

これでもう、バニウトロはリードなしで、自由に
いつでも私たちのそばにいることができるね。
バニウトロ、私たちが見える?

こうしてバニウトロは、煙となって天高く昇っていきました。

お骨拾いまでの間、私たち3人は八方台へ。

八方台
いつもなら、ここにバニウトロが写っているはずなのに、
今日は3人の影だけ。

夕暮れの桜
バニウトロが一緒に居たら、どこへでも
笑って出掛けることができたのに。
この物足りなさ、寂しさに慣れる日が来るのでしょうか。

八方台から降りてくる頃には、日はすっかり傾き
真っ赤なまあるい夕日が沈みかけていました。

夕焼け

「バニウトロは今頃どのあたりにいるだろうねえ」
ヨーダ婆が空を見上げていいました。

こんなにきれいな夕焼けの中、天に昇っていったんだね。
よかったね。本当にきれいな一日だったね。

午後7時、お骨拾い。

あっけないほど小さくなったバニウトロ。
足の方から順番に皆で拾っていきます。

バニウトロの骨を拾いながら
ヨーダ婆は泣いていたけれど、
私はなんだか、はっきりと一本の線を引かれたように
私の中で何かが一つ終わるのを感じました。

夜8時30分。バニウトロと一緒に家へ。

私たちが家に入った後に、バニウトロが入ってこない。
シャリは、しばらく玄関で待っていました。
シャリ、バニウトロはここにいるんだよ。

祭壇

バニウトロのお骨を載せている祭壇代わりの台は、
26日の日記の1枚目の写真で
シャリとバニウトロが乗っているベンチです。

決して高価ではないけれど、
まだ会社を始めて間もなかった頃
@BOSSが清水の舞台から飛び降りるつもりで買った
ダイニングテーブルセットの思い出のベンチ。
バニウトロとシャリの爪あとがいっぱい残っています。

バニウトロの大好きなパンと
佐渡の思い出の花、菜の花をたくさん供えました。

佐渡の菜の花
佐渡、海の見える菜の花畑にて。バニウトロとの思い出の花。

バニウトロ、見える? きれいでしょう?
ほら、大好きなパンだよ。もうお薬は入っていないよ。

ココナッツのお香を焚いて手を合わせました。

おかえり。そして、おやすみ、バニウトロ。
ゆっくり休んでね。


このブログを読んでくださる皆さん、
闘病中、そして虹の橋を渡るその日まで
バニウトロを温かく見守って頂いて
本当にありがとうございました。

皆さんからのコメントやメールは
この数週間の私の心の支えでもありました。
お一人お一人にお返事はできませんでしたが
この場を借りて、心よりお礼を申し上げます。

普段、「絶対そんな事は違う」とか、「絶対できない」とか
自分の思い込みで何かを決めつけがちな私は
「絶対」という言葉を使わないように気をつけていますが
もう「絶対に」バニウトロの身体に触れることはできない。
その事実がまだまだ私を打ちのめします。

けれど、今まで、仕事中には気にもかけなかった
お留守番をしていたバニウトロの存在を
今はどこにいても思い出し、気持ちの中に宿しています。
いなくなってからでは本当に遅いのですが・・・。

朝、目を覚ましても、バニウトロがいない。
その現実に少しずつ慣れていくことに
今はまだ、どうしようもない寂しさを感じてしまいますが
バニウトロが見せてくれた最後の数日間を思い出すたびに
心から誇らしく思うとともに
私もバニウトロに恥じない生き方をしなくてはと思います。
もう一つのブログにそのことを書いたので、よかったら読んでください。)

ブログを通じて、
一緒にバニウトロを見送ってくださった皆さん、
本当に本当にありがとうございました。
また時々バニウトロのことを思い出してやってください。

皆さんが忘れることのないように
私もまた、バニウトロの思い出話を書きたいなと思っています。

投稿者 utoro : 19:56 | コメント (12)

2008年05月02日

虹の橋行きのバスに乗る

平成20年5月2日、午前0時45分、
バニウトロが永眠しました。

享年12才と1週間と45分。
とても静かな最後でした。

昨日の日記でご報告した通り
水も飲めない状態が続く中がんばっているバニウトロを見て
もしかすると、バニウトロの生命力とは別に
脱水症状や尿毒症で死んでしまうのでは、と思いましたが
すでに、舌を巻き込む可能性があり
車での移動も危険な状態でしたので
GWで往診が不可能な先生とも相談し
近くの獣医さんから来てもらうことにしました。

佐渡大野亀
かんぞうの花が咲く、佐渡の大野亀。丘の上で風に吹かれる。

2008-05-02-10okama.jpg
山形のお釜。荒涼として、まるで火星のような景色。

「バニウトロ、ほ〜ら、お水だよ。」
夜7時すぎ、その先生に習って@BOSSが
鼻から胃へ直接チューブを通して
吸収のよい電解水と栄養食を送り込みました。
がんばっているバニウトロに飲ませる
これが最後のお水とご飯です。

いつもは何も口にできないバニウトロの側で
ご飯を食べる事に、申し訳なさを感じていましたが
バニウトロがお水とご飯を食べたこともあって
私たちも何となく安心して、その夜は
コタンさんが買って来てくれた差し入れを頂きました。

夕食後、しばらくすると
バニウトロの動かないはずの後ろ足がぴくぴくするので
見てみたら、一生懸命ウンチを出そうとしています。
もう丸3日間、水を飲めなくなってから、
おしっこもウンチもあきらめていたのでびっくり。

寝ていてうまく踏ん張れないので
足裏に手を当てて力みやすいようにしてあげて
あともう少し、というウンチを引っ張りだしてあげると
お水のせいか、前回のような干からびたウンチではなく
しっかりした、形のよい大きなウンチがスポン!と私の手に。
なんだか、バニウトロの赤ちゃんを取り上げたみたいで
「これが、バニウトロの赤ちゃんだったらね〜」と
思わずみんなで笑ってしまいました。

バスでお出かけ
まだ古いバスの頃。タンクのお水を飲む。

バスに乗り込む
「早く降りよう!」とバスを覗き込むバニウトロ。

2008-05-02-10sado.jpg
佐渡にて。三度のメシより海が好き。

夜10時30分。
バニウトロを囲む形でみんなで横になり
この3日間あまり眠っていない@BOSSもヨーダ婆も、
ちょっとした安堵感で、順番に寝息を立て始めました。
バニウトロの荒い呼吸の音だけが部屋に響きます。
私もほどなく、うとうとし始めました。

深夜0時30分。ふと目が覚めました。

なんだかバニウトロの呼吸が違う。

今考えると、少し不思議。
バニウトロの息は激しくなったわけではなく
私が目を覚ますような変化ではなかったのですが
もしかしたら、バニウトロがお別れを言うために
私を起こしてくれたのかも、という気がしてなりません。

呼吸がいままでより静かで間隔が遅い。

前の晩は@BOSSが、バニウトロの傍らで
やはり寝息が静かになると起きだして
呼吸の様子を見守る番をしてくれていました。
昨晩はその度にちゃんと荒い息に戻ってくれていたのですが
この時の呼吸は、明らかに静かで遅かったのです。

「バニウトロ、バニウトロ !」

私の声で@BOSSもヨーダ婆も目を覚ましました。
そして、今日までに既に3度、
息の止まりそうになったバニウトロを見てきましたが、
私たちはこの時、バニウトロが
とうとう虹の橋行きのバスに
乗ってしまおうとしていることがわかり
皆の目から涙が流れました。

でも、悲しい顔は見せないで、見送る約束です。

皆、バニウトロに顔を寄せました。
そのバニウトロのおでこや耳には
私たちの涙がポトリ、ポトリと落ちましたが
でも、精一杯の声の笑顔で語りかけてあげました。

「バニウトロ、くるまに乗った?」
「よーし、ピョン!あぁ、乗れたねぇ」
「よし、じゃあ、バニウトロの場所はどこだっけ?」
「そこかあ、よしよし。海に行くよ、海!!」
「あぁ、よしよし、もうすぐ、海だよ!」
「ゆっくり休んで、明日泳ごうね」
「バニウトロ、よしよし、頑張ったね」
「うん、うん、よく頑張った、えらい、えらい」
「よしよーし。バニウトロ、いいこだねぇ」

もう誰も「頑張れ」とは言いません。

そんな私たちの声が届いてくれたのでしょう。
みんなが声をかける中、
バニウトロの目の焦点が合ってきました。
それまでは上の方向を向いていた黒目が
元気だった頃のように、真っ正面で
私たちの顔を捉えています。

「おっ!バニウトロ、見えるか?海だよ」
「よしよし、今日はゆっくりお休み」
「よしよし、いままで良く頑張った、えらい、えらい」
「よしよし、バニウトロ、疲れたよね」

そして、決して言いたくはなかったけれど
頑張ったバニウトロに、最期のご褒美の言葉を。

「よしよし、今日はもう、おやすみしていいよ」
「おやすみ、バニウトロ。」
「また明日・・・、また明日、泳ごうね」

安心したかのように、バニウトロの息は段々小さく細くなり
そしてフッと呼吸と心臓が止まりました。

私が目を覚ましてから
わずか15分くらいのことでした。

「バニウトロ、よく頑張ってくれたね、ありがとうね。」

最後にたくさんのおしっこをしました。
とても愛おしい温かさのおしっこ。
それはバニウトロが生きていた最後の証でした。

関門橋
本州最南端、下関の関門橋をバスで訪ねる。対岸は九州。

@BOSSの隣で
@BOSSに寄りかかって嬉しいバニウトロ。

特等席で熟睡
運転席の後ろ、一番広い特等席が「バニウトロの場所」

こうして、最後の日、バニウトロは
お水を飲み、ご飯を食べ、ウンチをして、おしっこをして
お別れを言って、ぜ〜んぶやりきって
虹の橋行きのバスに乗りました。

4月30日の3度に渡る危篤状態の時と打って変わって
安らかで、すっきりとして、
私たちは別れがたくて、辛くはあったけれど、
泣きながらも笑顔で見送れる最後でした。

バニウトロ、本当にありがとう。
バニウトロと一緒に過ごせて楽しかったよ。

この最後の一週間、バニウトロと
片時も離れる事なく過ごす事ができましたが
これがGWでなかったら絶対に不可能なことでした。
初めて満開となった家の前の桜といい、
お別れの時に目を覚ましてくれたことといい、
最後のお水も、ごはんも、おしっこも、ウンチも、
どれもこれもが一つの大きな丸でつながって
完結したという気持ちです。

お供え

夜が明けました。
バニウトロの枕元には
いつも使っていた食器にごはんとお水を入れ、
タンポポの花と、ココナッツの線香をあげています。

とても静かです。

外は今日も気持ちのよいお天気。
バニウトロとお散歩したくても、もうできない。
それを思うと、つい涙が出てしまいますが
もうちょっとの間だけ、
泣き虫ウトロのままでいさせてください。

2008-05-02-11nagate.jpg
佐渡、風島海浜公園をお散歩。

佐渡の海
夕日を追いかけて沖へ沖へ。泳げ、泳げ。

2008-05-02-11ferry.jpg
何回乗ったかわからない、佐渡汽船のカーフェリー。

九州の道の駅菊水
九州、道の駅「きくすい」にて。気持ちのいい夕暮れ。

バニウトロは、きっと今頃、バスの中で
大好きな、運転席の後ろの席を陣取って
一緒に過ごして来たこの12年間の
いろいろな景色を眺めながら
気持ち良さそうに風に吹かれて
虹の橋へ向かって走っていることでしょう。

バニウトロ、よかったね、うれしそう、
素敵なバスだね。バニウトロ号だね。

12年間ありがとう。
大好きだったよ。

「またね。また、おいで。」

投稿者 utoro : 17:43 | コメント (15)

2008年05月01日

GW、バニウトロと旅する

皆さん、たくさんの温かいコメントや応援のメール、
本当にありがとうございます。
話せないバニウトロに代わって、心からお礼をいいます。

なかなかコメントやメールのお返事を書けなくてすみません。
でも、皆さんの貴重な体験や思い出を聞かせて頂いて
私自身も励まされ、癒され、勇気づけられ、
毎日、気持ちを新たにしています。

たんぽぽ
家の前の桜も散り始め、タンポポが花を咲かせました。
日々、外の景色が変わっていきます。

誕生日から5日後の29日、
大急ぎで送って頂いた栄養補助剤「ニュートリカル」が
家に届いたその日のことでした。

バニウトロは咽頭麻痺が進み、
呼吸は鼻からしかできなくなってしまいました。
固形物はもちろん、流動食も、水すらも
もう飲ませることはできません。
これはもはや、バニウトロの残されたエネルギーだけで
どこまで持つかというのと同じことです。

苦しそうなバニウトロ。
時々、のどが塞がり呼吸が止まりそうになり
口をこじあけて気道を開き、呼吸をさせました。
すでに3度ほど生死をさまよい、その度に
虹の橋を渡りかけたバニウトロは戻って来てくれましたが
水を飲めなくなって今日で3日、
信じられない生命力でバニウトロは頑張っています。

でも、そんなバニウトロに
何も食べさせる事も飲ませる事もできず、時々
ただバニウトロの苦しさを長く延ばしてしまっているだけなのでは?
と思わないでもありません。
非常に歯がゆく、無力さに苛まれます
バニウトロに私たちができることは見守ることだけ。

せめてもの償いとして、楽しい思い出をと
バニウトロの意識のある限りは、例え意識が薄れても
バニウトロが頑張って、生命を燃やす限り、いつもいつも
バニウトロが大好きだったことを
話しかけてあげるようにしています。

「よし!バニウトロ、くるまに乗ろう!」

「乗った?じゃあバニウトロの席はどこだっけ?」

「お散歩に行こう、お散歩。今日はグラウンドまでだよ」

「バニウトロ、海に行く?一緒に泳ごう!」

「明日の朝は、バニウトロの大好きな佐渡だよ!」

元気だった頃、バニウトロといつも話していた会話です。
そのほとんどを理解しているはずで
バニウトロが大好きだったものばかりです。
特に「くるま(バス)に乗る」と「お散歩」という
シチュエーションがお気に入りで
朦朧とした意識の下、
「くるまにピョン!」「お散歩」という言葉を聞くと
バニウトロの手足がパタパタと動きます。

アロマテラピー
鼻先にイカの丸干しを置いて海の香りを演出。

バニウトロは海に向かう「くるま」の中で
潮の香りに気づくと、辺りをキョロキョロと見回して
まだ海の景色が見えない距離でも、ソワソワして
くるまを降りる準備をはじめるくらい海が好きでした。

もうおしっこもウンチも出ることはないし
お水もごはんもあげることはできないけれど
想像の世界で、私たちとバニウトロは
毎日、いろいろな所を旅して、散歩をして、泳いでいます。

病気にならなかったら、バニウトロと一緒に
3度目の北海道に行くはずだったこのゴールデンウィーク。
「ウトロ」という名前の由来である
北海道斜里郡斜里町ウトロの町を、3度目となる今回も
また訪ねるという願いは叶いませんでしたが
ゴールデンウィークだったおかげで一日中一緒にいることができ、
この3日間で、バニウトロは夢うつつの意識の中かもしれませんが
北海道から九州までの旅を何度もすることが出来ました。
大好きな佐渡へも、この3日間で20回くらい渡ってきました。

今、私たちは、悲しく辛いながらも
静かで、幸せな時間を一緒に過ごしています。

食事はもちろん水も飲むことができない状態で、
バニウトロはほとんど寝ることもなく
すでに丸3日間、生きながらえています。
おそらく、呼吸困難か衰弱がそう遠くないとは思いますが
最後まで、一緒に楽しく旅を続けたいと思います。

バニウトロはもうすぐ虹の橋を渡ってしまいます。
でもバニウトロに聞いてみたら、
バニウトロは、大好きなバスに乗って
虹の橋を渡るつもりのようです。

最後のバスに乗るときも、パタパタと足を動かして
うれしそうに乗ってほしいと願っています。
そして、上手にバスに乗れたら、
私たちは、こう声を掛けてあげようと思います。

「おやすみ、バニウトロ。また明日、泳ごうね」と。

投稿者 kamata : 16:41 | コメント (8)

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